日時計の丘

小さなギャラリー、小さなホール、小さな図書館


トップレート - 今月の1枚
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海辺の共同墓地(スペイン・カタルニア)470 閲覧フランスとスペインのカタルニア地方の国境にあり地中海に面した小さな町ポルボウの丘の上にある墓地。箪笥の引き出しのように何段にも重なっている共同墓地で、南の国ではよく見られる光景だ。埋葬されてから5年経って管理する人が居なくなったら、遺骨は片付けられ、墓は空になってしまう。
1940年ピレネー山脈を越えて亡命しようとしたが叶わず、ポルボウの町のホテルで自殺したワルター・ベンヤミンが、カトリックの神父の好意により、一緒に亡命に同行した子供連れの夫人の助けもあり、この墓に埋葬された。戦後になってから、ドイツとカタルニア政府の計らいで、一基の石の墓碑が建てられ、今はそこに眠っている。 墓地の東に、ユダヤ人の建築家ダニ・カラヴァンによって、ベンヤミンのためのモニュメントが作られている。覗くとと青い海が見え、階段がつづいている。そこから海に落ち込みそうな恐怖感を感ずるが、途中にガラスの仕切りがはめてあり、実際に落ることはない。
そのガラスの上に「無名の人を讃えるのは難しい。歴史を本当に担って来たのは彼らなのに」と刻まれている。遠い記憶が崇高にまで高められ、それらがこのように心の中で重なりあう場所を他に私は知らない。
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ニーチェの生家(レッケン、中部ドイツザクセン州)579 閲覧ニーチェの書物は東独時代禁書扱いされ、ニーチェ関係の建物はほとんど廃墟になっていた。生家であるこの牧師館も、以前私が尋ねた時はまだ部屋が砂でおうわれており、誰も住んでおらず、子供たちが遊んでいた。今はきれいに修復され隣にニーチェ記念館が併設されている。レッケンの村の真ん中にあリ、子供の頃ニーチェが好んで遊んだ、葦が生えかたつむりを探した近くの沼も当時の面影は全くなくなってしまった。
ただ、教会の横にある墓碑は昔のままで、赤みがかった黒の大理石で、茂みの影に横たわっている。きれいに磨かれた墓石の上に、白バラが一輪そっと置かれていた。ニーチェは1900年ワイマールの妹の家で亡くなっている。生まれた村レッケンに帰ってきて埋葬されたのだ。
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アルルの跳ね橋404 閲覧ゴッホの描いた「アルルの跳ね橋」が新しく架け替えられて久しく、その雰囲気は全く変わってしまっている。橋をわたる馬車は既になく、跳ね橋はもう使われていない。選択女たちの賑わいも聞こえそうにない。ただその向こうに見える、赤い屋根の白い家と繁った樹木だけが、プロヴァンス地方の面影を残しており、夏の青い澄んだ空と麦畑に注ぐ光だけが、今もアルル郊外の思い出を再現してくれている。そこから田園地帯に目を戻すと、ここアルルにはゴッホがよく描いた南仏の夏の光がまだ残っていた。その光を感じていると、我々は、ゴッホの絵を通して、プロヴァンスの風景を見ているように思えてくる。55555
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羊の草を摘む修道僧(ルーマニア)506 閲覧ルーマニアという国の地方色は歴史も自然も多様だ。面積も結構広い。北部はウクライナに接し、南は黒海に面しているブッコヴィナ地方は民族も宗教も多様だ。ルーマニア人、ウクライナ人のほかドイツ人、ユダヤ人も多い特殊な地方である。宗教は東方正教会とカトリック教会が主流だが、様々な宗教が併存している。
年取ったカトリックの僧侶が建物の前の庭に生えている草を摘んで、その草を一匹の羊に与えていた。のどかなな温かい風景だった。私はしばらくそこに立ち止まり、現代でもこのような閑居な生活があることを感じながらその光景をずっと眺めていた。
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