日時計の丘

小さなギャラリー、小さなホール、小さな図書館

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ブリュートナー(ライプチッヒ、1910年製)2220 閲覧現代音楽まで網羅することは出来ないが、慣れてくると現今の楽器では決して出ない独特の美しい響があり、虜になる。録音して聞いてみると、音質の違いがさらにはっきりと分かる。またこの楽器の音はこのホールでしか出ない音であることも分かってくる。
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イタリアン・ヴァージナル(松尾楽器制作)2067 閲覧チェンバロとも異なった、独特の音を出してくれる。演奏者の出したい音が出てくる。慣れることが慣用。
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ニーチェの生家(レッケン、中部ドイツザクセン州)618 閲覧ニーチェの書物は東独時代禁書扱いされ、ニーチェ関係の建物はほとんど廃墟になっていた。生家であるこの牧師館も、以前私が尋ねた時はまだ部屋が砂でおうわれており、誰も住んでおらず、子供たちが遊んでいた。今はきれいに修復され隣にニーチェ記念館が併設されている。レッケンの村の真ん中にあリ、子供の頃ニーチェが好んで遊んだ、葦が生えかたつむりを探した近くの沼も当時の面影は全くなくなってしまった。
ただ、教会の横にある墓碑は昔のままで、赤みがかった黒の大理石で、茂みの影に横たわっている。きれいに磨かれた墓石の上に、白バラが一輪そっと置かれていた。ニーチェは1900年ワイマールの妹の家で亡くなっている。生まれた村レッケンに帰ってきて埋葬されたのだ。
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演奏する舞台542 閲覧二階から舞台を見る
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羊の草を摘む修道僧(ルーマニア)542 閲覧ルーマニアという国の地方色は歴史も自然も多様だ。面積も結構広い。北部はウクライナに接し、南は黒海に面しているブッコヴィナ地方は民族も宗教も多様だ。ルーマニア人、ウクライナ人のほかドイツ人、ユダヤ人も多い特殊な地方である。宗教は東方正教会とカトリック教会が主流だが、様々な宗教が併存している。
年取ったカトリックの僧侶が建物の前の庭に生えている草を摘んで、その草を一匹の羊に与えていた。のどかなな温かい風景だった。私はしばらくそこに立ち止まり、現代でもこのような閑居な生活があることを感じながらその光景をずっと眺めていた。
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閲覧室(読書会・討論会なども開催)531 閲覧
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海辺の共同墓地(スペイン・カタルニア)507 閲覧フランスとスペインのカタルニア地方の国境にあり地中海に面した小さな町ポルボウの丘の上にある墓地。箪笥の引き出しのように何段にも重なっている共同墓地で、南の国ではよく見られる光景だ。埋葬されてから5年経って管理する人が居なくなったら、遺骨は片付けられ、墓は空になってしまう。
1940年ピレネー山脈を越えて亡命しようとしたが叶わず、ポルボウの町のホテルで自殺したワルター・ベンヤミンが、カトリックの神父の好意により、一緒に亡命に同行した子供連れの夫人の助けもあり、この墓に埋葬された。戦後になってから、ドイツとカタルニア政府の計らいで、一基の石の墓碑が建てられ、今はそこに眠っている。 墓地の東に、ユダヤ人の建築家ダニ・カラヴァンによって、ベンヤミンのためのモニュメントが作られている。覗くとと青い海が見え、階段がつづいている。そこから海に落ち込みそうな恐怖感を感ずるが、途中にガラスの仕切りがはめてあり、実際に落ることはない。
そのガラスの上に「無名の人を讃えるのは難しい。歴史を本当に担って来たのは彼らなのに」と刻まれている。遠い記憶が崇高にまで高められ、それらがこのように心の中で重なりあう場所を他に私は知らない。
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493 閲覧書庫 、手前が閲覧室
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路地裏のユーモア(プラハ)488 閲覧普通プラハ城に行くには、旧市街から有名なカレル橋を渡ってそれに続く坂を上がっていくのだが、今回は一つ上流の西の橋を渡って北側の方からこっそりプラハ城に行こうとしたら道に迷い、路地裏に入り込んでしまった。そこで上を見たら写真のように人間がぶら下がっていた。見たこともない奇妙な光景だった。そこを上がった表通りは観光客が行き交い華やかに美しい町並みになるのだが、ここは全くそれと反対に狭く淋しい裏小路だった。城や大聖堂の地区でも、一つ裏に入ればこのようなひっそりとした庶民が住む場所がまだ残されているのが、プラハの奥深いところなのだと、思った。その路地裏に仕掛けられたブラックユーモアもここまで来れば一流だ。こんなところも古都プラハの魅力なのだろう。
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塩の街ーシュヴェービッシェ・ハル(西南ドイツ)486 閲覧ヨーロッパでは、普通塩は岩塩である。この町の近くで岩塩が採れ、そこを流れるコッハー川を船で各地に運んだ、その中継地がこの街である。川の両岸に並ぶ木組みの家とコッハー川が作る中洲とを結ぶ橋は様々なもので、北側の大橋から見た街の景観は、戦災に合わなかったこともあって、中世以来の風情を残し美しい。
この街は古い教会のテラスで、地方色豊かな演劇が上演されることでもよく知られている。また、教会を改造した美術館には、ホルバインを初め、古来の名画が収集され、また古い地方の宗教画が並べられている。現今は、篤志家の援助もあって、坂の中腹に大きな新しい美術館が建設され、特殊な企画展の時など世界から人が集まってくる。
一度行ったら、また来たくなる不思議な魅力ある街だ。
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エストニアの海岸481 閲覧夏の海なのになぜこんなに淋しいのだろう。
泳いでいる人もいないし、海岸の小屋にも人気は全くない。ボートも船も浮かんでいないし、波の音も聞こえない。打ち寄せる浪がない静かな海なのだ。午前中だからだろうか。光はあるがどこなく薄い感じだ。そういえば、水平線の向こうに見える陸地らしきところはもうフィンランドだ。私は、この人影のいない静かな海辺に立って、自分の孤独に襲われながらひとり長いことずっとこの淋しい海を眺めていた。やはり遠くまでやって来たのだ。
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P.ブリューゲルを模写する人(ウィーン美術史美術館で)464 閲覧ウィーンの美術史美術館で、P.ブリューゲルの傑作『牛群れの帰り』を模写している婦人の話を聞き、本物と模写の不思議な関係を
再考した。ここで模写することが許されている人は限られている。依頼されて模写する場合もあるが、自分の好きな作品を模写する事が多いという。
まず驚いたのは、模写にかかる時間の長さだった。本物を描いた時間より、模写する時間のほうが長いことも多いのではないかと言う。私が3時間以上後にまたここに来た時、この婦人は、先ほどと同じ線をまだ書き直していた。オリジナルの力に圧倒されながら、それを模倣することは、とてつもない辛抱強さが要求されるのだ。完成することのない動作を続けなければならないからだ。創作よりも模倣の方が楽だとは、到底言えない、とも思った。婦人はその覚悟を私に語ってくれたような気がする。描いている婦人の横顔は真剣で美しかった。オリジナルの持つ力強さと気品が乗り移っているようでもあった。


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